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河原和寿氏 引退会見を実施しました。

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2020/02/10

【河原和寿氏引退記者会見】
2月10日(月)松山市内にある愛媛新聞本社1Fホールにて、
先月、自身の33回目の誕生日にあたる1月29日にプロ生活15年に幕を下ろしました河原和寿氏引退記者会見を実施しいたしました。

【河原和寿氏 コメント】
今回、このような場を設けてくださいましたクラブ関係者、そしてお越しくださったメディアの皆さまには感謝しております。
2005年からサッカー選手として活動してきましたが、今年をもって引退することを決めました。
引退するにあたり、いろいろ自分の気持ちの部分やサッカーに対する愛情の部分で整理がつかず、発表が遅くなりましてすみませんでした。

【引退を決意した経緯は】
昨年10月のシーズン中に強化部長に退団の旨を伝えました。
当時は自分が「サッカー選手」を続けるためには、このクラブに残ることはベストではないと思ってました。
ただ、ありがたいことに、クラブからはサッカー選手を続けられなかったときは違う形で一緒にしたいという話は頂いておりました。
自分としても早くチームが決まればよかったのですが、自分が33歳となる誕生日の1月29日まで待ってほしいと伝えて、返事を待ってもらえるように承諾を得ておりました。
10月に退団のリリースを出して、周りからは、次の移籍先が決まっていると思われていましたが、実際の所、その当時全くそのような話はありませんでした。
そして、1月28日20時まで納得のできるオファーはなく、同日21時に引退を決断しました。
そのことはすぐに家族に伝えました。妻は、「どの道を選択しても応援する」と言ってくれました。
試合に出られない時期などのサポートなど、いろいろと迷惑をかけていただけに、まだ自分を応援してくれることに関して本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

早く働きたいという気持ちもあったので、引退を決意したタイミングでアカデミーダイレクターの青野大介さんに連絡し、アカデミーコーチとして迎えてもらうことになり、広報にも無理を言って、翌日1月29日の誕生日に引退のリリースを出してもらいました。

正直、10月の時に、選手か指導者かどちらの道に進んでもいいと思ってもいました。それくらい指導者にも魅力を感じていたのも事実です。
引退を決意したときは、決して自分が描いていた満足した形での引退とはなりませんでしたが、怖くはなく、わくわく感が強く、引退をすっきりした気持ちで迎えられました。
それも、いろいろな方にアドバイスをもらったり、心配してもらったりしたおかげであり、引退を決意できたことに感謝しています。

【プロ生活の中で思い出に残ったものは】

1番は、高校を卒業して入団したアルビレックス新潟でプロの厳しさを痛感したことです。
何もできないまま1年が過ぎました。プロ15年の中で、この1年がなければ、その後のプロ生活を送ることはできませんでした。
そう思うと、ありがたい1年でした。
忘れられないのは、愛媛FCでプレーオフに進出した2015シーズンは忘れられないシーズンです。

【選手のキャリアを終えて、指導者として今後歩んでいくことに対する決意など】
会の冒頭は緊張していて、お伝えできておりませんでしたが、今年からアカデミーのU-14コーチに就任することとなりました。
既に指導者としてのキャリアはスタートしてはいます。
実際に指導してみて、指導者って「本当に難しい」自分の気持ち・サッカー観を伝える難しさを痛感しております。
だからこそ、この仕事に今はやりがいを感じております。
今後は、自分が関わった選手が一人でも多くピッチで活躍する・活躍できるように自分は指導していきたいし、クラブとしてもそうやっていかなければならないと思います。

将来的に、監督としての道にも興味はあるが、監督となるためにはしっかりとした指導者としての経験を積み重ねが必要ですので、今はまだその時期だと思います。

会の最後には、愛媛FCで6年間共に切磋琢磨してきた西田剛キャプテンが、特別ゲストとして河原さんに花束を渡し、お二人の笑顔で終了となりました。
西田剛キャプテン、急なことにも関わらず、駆けつけてくださりありがとうございました。

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